怪獣


 蝶野美莉愛(ちょうのみりあ)は島で唯一の子供だった。ただ生まれはこの島ではない。本州の地方都市だと聞いていた。父方の実家がこの島にあったため、一家で移住してきたらしい。僕はその話を叔母から聞いていた。「美莉愛ちゃんのお父さんが行方不明になったのが五年くらい前かしら。それからお母さんと一緒にこの島に越してきたの。お母さんの方の実家とは仲が悪かったらしくて、こっちなんですって。今は随分慣れたみたいね。美紀ちゃんっていう遊び相手が居たんだけれど、大学に進学してM県に行っちゃって。スマホも持ってないから連絡も取れなくなって、かわいそうに」それが、いつも彼女が浮かない顔をしている理由らしい。いや、元々今のような雰囲気だったのかもしれない。僕は美紀という人を知らないし、美紀という人と一緒にいる時の彼女も想像するしかない。
 蝶野は十三歳で中学生に上がったばかりだった。島には小学校と中学校を一緒にした施設があった。古い建物を囲むようにプレハブ小屋で増築してある。彼女は毎日自転車でその場所に通っている。時々、海沿いの道を自転車を引きながら歩いている彼女を見かけた。海の向こうには一切目も向けずに、ひたすらに足元だけを凝視している。何かに躓かないように気をつけているのだろうか。その姿勢も僕を惹きつけていた。
 僕が教師として蝶野と出会ったのはつい最近だ。だから、中学生の彼女の姿しか知らない。この島の中学生は制服を着ることになっていた。白のブラウスにベージュのリボンが垂れ下がる。彼女はプリーツスカートを織り込まずに履いていた。膝を隠すような長さになっている。自転車に巻き込まれないか心配だ。しかしそれならスカートではなく学校指定のジャージを履けば良いだけなのだが、どうして彼女がそうしないのかは分からない。でも僕が口を出すべきことでもないから、何も言わない。着こなしから彼女の心境を読み取れるかもしれないと思うこともあったが、とても上手くいきそうになかった。制服以外の彼女も見てみたいと思った。一体どんな服装を好むのか。何色が好きなのか。どういった柄を選ぶのか。制服という存在はそんな貴重な情報を覆い隠してしまう。校舎の何処かに一枚でも小学生の時の蝶野の写真が無いかと探した。恐らくそういったプライベートのものは自宅に持ち帰ってしまっているのだろう。ただそんな写真のために後ろめたい行為に走りはしなかった。そのつもりもなかった。
 この島にいる限りはできる限り良好な関係を維持したい。特段仲良くなりたい訳ではないし、かと言って距離を置いて過ごしたくもない。僕は彼女を利用するつもりだった。元々本州で教師をしていた。中学校の生徒を教えて二年が過ぎた頃、元々抱えていた苦しさの塊が弾けてしまった。僕は生徒の女子グループからいじめを受けていたのだ。僕の主観によれば、主にいじめのアイデアを出していたのは二人だった。それに追随していた女子生徒が四人いた。首を突っ込んで加担したのはさらに八人で、そこには三人の男子も紛れている。いじめの認識なんて主観的なものに他ならないから、事実(もし調査委員会やら裁判ならで調べられるなら認められるであろう客観的な把握)はあやふやである。無論、当人たちは今日も高校に通っている。昼下がりには授業中にぼんやりと放課後の予定を話しているだろうか。隣の街には大型の商業ビルが修繕を終えて、多くの有名なテナント店が入る予定になっていた。今頃はもう完成しているだろう。そこで遊ぶ算段をしているかもしれない。
 僕が教師を辞めたのは過労によるものだとしておいた。父も母も種類は違えど教師の仕事をしていたから、辞めると伝えた時には驚かれた。まるでヒットを打ってくれたのに、ホームに帰ってこないサードランナーを見たように。やや怒りもこもっていたろうか。そんな親たちにどうして、女子生徒たちにいじめられたから辞めたなんて言えようか。それでも友達は理解してくれた。「教師って大変らしいからな。無事でよかったよ。十分休みなよ」と労ってくれた。世間では教師の働きすぎ問題が騒がれ続けていたから理解もあった。だが実際には学校では僕よりももっと大変な人たちがいる。僕なんて下から数えた方が早いくらいの激務だった。
 僕は辞めてからすぐに本州の心療内科を受診して、睡眠を助ける薬を処方してもらった。向精神薬も何種類か試して、体に合いそうなのを続けている。将来的には教師の職に戻りたいと思っていたから、もし心の傷が自らの行動によって癒えるなら何でもするつもりだった。僕の離職の本当の理由を知るのは医者だけだ。
 それでも復職にはまだ抵抗がある。中学生くらいの女子生徒と接しなくてはと思うと倒れそうになるのだ。嫌な記憶が胸の底を熱して気分の悪さを増幅してきた。離職してからしばらく貯金で暮らしていた時に、都の職員から電話がかかってきた。この島での臨時派遣教師の話をされた。本州から離れた島で小学生と中学生を教えられる人を募集しているらしい。本当は公募で決めるようなのだが、この島に行きたがる人は恐らく少ないだろうと踏んでまず僕に誘いがきた。「少し遠いところにありますでしょう? あくまで臨時の先生ですので正規のお給料は出せませんし、お家を探してもらうにしましても、任期の短さから見つかりにくいと思いまして」と電話の相手は言った。「面接の際にご親戚がお住まいだとお話しされていましたよね」確かに僕は最初の都立校での面接の際にこの島での教育の環境についての話をした。離島に勤める教師のような、生徒にいつも見つけてもらいやすい存在になりたいと話した。今の今まで忘れていたし、現在ではそこまで生徒と近しくなりたくはないと思っているが。面接で「島に勤めていた教育者を何故知っていたのか」と尋ねられて、親戚が住んでいて夏には遊びに行っていたと答えたのだ。そんな過去の発言まで記録されていたのには驚いたが、恐らく控えておこうと考えた人がいたのだろう。もしくは僕の発言が事実かどうかを調べた人がいたのかも知れない。暇な人か、意地悪な人か。どちらにしても僕は先方の申し出に感謝した。話を詳しく聞くと、どうやらその島で子供を教えていた人が行方不明になったらしい。事件性はないと言っていたが(どうしてその一点だけははっきりしているのだろうか)、しばらく戻ってくる見込みはないとのことで代わりの教師を探しているらしい。受け持つのはたった一人の児童で中学生に上がったばかりのようだった。児童が一人でもいる限りは勤めを果たすのが公教育の定めである。そうでしょう? と担当者は言った。過去の自らの言葉が言質としてとられている。既に縁を切って久しい存在だ。見捨てても構わないかも知れないが、僕は利用すると決めていた。話を受けることにした。電話の相手は「受け持つのは大人しくて素直な女の子ですよ」と付け加えた。まるで僕がどうして今教師をしていないのか分かっていると言わんばかりだった。
 数年前に僕は赴任先の中学校で女子生徒たちからいじめを受けていた。四月から受け持った中学校二年生のクラスだ。僕にとっては初めての生徒たちで、きっと上手くやっていけるだろうと思っていた。大学生の時には中学生たちに勉強を教える個別指導の塾でバイトをしていた。その時にある程度の苦労は乗り越えてきたという自負のようなものがあったのだ。勉強をしたがらない生徒やバイトの教師たちと私語をしたがる生徒もいて、受け持った時は彼らを律せなかった。優しいばかりでいたのだ。結果、完全に彼らをつけあがらせてしまった。そんな時に教室を運営する会社の社員が生徒と接する方法を教えてくれたのだ。
「まず、親御さんに現状を伝えるんだ。教室で少し目に余る行為があって、こちらとしても困っていると。それから少し厳しい指導をするための許可を得る。あくまで言葉による指導だと強調するんだぞ。話はそこからだ」
 その社員は生徒たちが帰った教室でそんな話をしてくれた。飲み物を奢ってくれて、自分も缶コーヒーを飲みながら問題の解決に全力を注いでくれた。
「許可が取れなかったらもう辞めてもらうしかない。塾としては生徒に辞められるのは収入減に繋がるから避けたいが、かえって無理にいてもらっても他の生徒たちを幻滅させるだけだ。だから、しめしをつけるためにもガツンと話をする」
 僕のバイトは夕方からだったので、社員は昼間のうちに親御さんと話をしてくれたらしい。
「厳しいようなら俺がやるけど、やってみるか?」
 自分はまるで怒れない教師だった。そんな自分を変えるチャンスをくれたのだ。僕はその頃にはもう将来は教師の道に進むのを決めていたから、これを乗り越えなければ先はないと思って引き受けた。社員は叱り方を僕に任せてくれた。現場では近くで控えていて、まずそうならば止めてくれるらしい。バイトが始まるまでの時間で考えた結果、やはり怒鳴り声を上げるのが効果的だと思った。自分が中学生の頃、国語の教師に怒鳴られたのを思い出した(どうして怒られたのか理由は思い出せなかったが)。その教師の真似をした。物真似のように叫んで叱りつけた。教室には他にも生徒たちがいたので、空気は静まり返ってしまった。だが、それから不真面目な生徒は形の上では改心したらしい。卒業まで教室に通ってくれた。成績も格段に良くなった訳では無いが、全教科で満遍なく授業を理解して定期テストでも平均点を一度も割らなかった。
 こうして僕は大学生の成功体験を持ち込んだのだが、中学校では学習塾とは別の要因で生徒との接し方に問題が起きてしまったのだ。僕は数学を教えているのだが、できるだけ冗談を交えながら授業を進めていた。オーバーアクションで式の立て方を説明し、出来るだけ笑顔で例題の解説をした。演劇をするように数学の問題を解題していたのだ。だが、中学生の女子にとってその教え方は癪に障るものだったらしい。まるで子供向けの教育番組のようだと裏口を叩かれた。まずは「笑い方が気持ち悪い」と言われ始めて、僕の授業の様子はスマホで撮影されて生徒たちの間で流通していたらしい。それから彼女らは僕に授業とは関係のない質問をし始めた。
「先生の乗っている自転車は駐輪場の一番左の、真っ赤なやつですか? ブレーキがうるさいやつですか?」
 そんな質問で大笑いをするのだ。一人二人だけではない。教室を巻き込んでの爆笑なのだ。笑いの渦の中にいてひたすら僕は孤独だった。惨めさと恥ずかしさの中に恐怖が芽生える。一体何が面白いのだろう。彼らには彼らしか分らない世界での笑いのポイントのようなものがあるらしい。ひっひっひゃという引きつった笑い声が肩を強張らせた。生徒たちは僕を見ると何とか笑わせようとしてきた。少しでもこちらがはにかむと、まるで希少な光景を目にしたと言わんばかりに体を曲げて笑った。僕は無理に付き合わずに無視をしていた。すると彼女らは今度は、僕の板書の数字が分かりにくいと授業中に挙手をして発言するようになった。狙われたのは9の数字だった。9の文字が汚くて0と見間違えると繰り返し発言した。確かに僕の書く9には癖がある。下に抜けていく一本の線が心持ち短いのだ。自覚してもなかなか直らない。僕が狼狽すると皆は喜んで牙を剥いた。そのせいで今でも僕は9の字を書こうとすると手が震える。そのうちに授業中の私語が始まった。どんな強度の注意もまるで無意味だった。見かねたらしく学年主任の教師が見に来たこともあった。その時は凍りついたように教室は静かになった。それが僕にとっては屈辱だった。幾晩も悩んで一度きつく注意してみようと決意した。学習塾の時はそれで成功したのだ。だが、彼女たちの態度が変わることはなかった。皆、怒鳴られるのに慣れている雰囲気さえあった。僕の感情の発露は結果としていじめを行っている子らを助長する結果になった。生徒たちをコントロールできていないという事実は他の教師たちからも注意されるようになった。正常に授業が行われていない状況に苦言が呈された。一つが上手く言っていないと他のことに手がつかない。授業準備にも気持ちが入らなくなった。例題の上手い解説を考えていても、受け手の生徒たちをイメージするたびに嫌な印象が蘇るのだ。結果として何をしても僕は生徒たちに笑われるのが怖くなった。次に何をされるのか。何が笑いの対象になるのか。混乱しながら先生を続けて、ある日もう体が動かなくなってしまった。そうして僕は教師を辞めていた。

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