投稿者: Garanhead

  • シーズンアーカイブ

     このページでは、過去のシーズンごとに公開されたコンテンツをまとめています。アイデアをまとめるためにAIアシスタントのサポートを活用して作成しました。
    
     新規コンテンツはシーズン(約3か月)ごとにまとめて公開します。年4回の更新を予定しています。
    
     多忙につき年4回の更新は諦めました。2025年中に1度は更新できたらいいなあという感じです。
    

    シーズン1(2025年1月)

    • 短編小説

     『怪獣』 – 過去の短編小説の完全リメイクです。テーマも登場人物も何もかもが変わってしまいました。離島で教師をすることになった男と、島で唯一の生徒である少女との交流のお話。

    • 読書エッセイ

      『アレゴリーの世界へ』 – 福永武彦『塔』

      『人間の変身あるいは不完全変態について』 – 小山田浩子『はね』

    • 週次報告

      一週間毎に執筆の進捗状況やインプットの情報を公開します。

    (予告)シーズン2 (2025年内)

    ・短編小説(予定)

    ・読書エッセイ(予定)

    ・リンク

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    「このサイトマップは、アイデアをまとめるためにAIアシスタントのサポートを活用して作成しました。自分の考えを整理し、形にするのにとても役立ちました!」

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      • 説明: サイトの概要や最新の更新情報を掲載するトップページ。新規コンテンツはシーズン(約3か月)ごとにまとめて公開します。年4回の更新を予定しています。
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      • 説明: サイト限定で公開しているオリジナル短編小説。さまざまなテーマやジャンルで楽しめます。各シーズンで新作を追加予定。
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      • 説明: 好きな本についての感想や、どのように楽しんだかの記録。読書の喜びを共有します。こちらもシーズンごとに新しいエッセイを追加予定。
    4. 週次報告
      • 説明: 毎週の活動や進捗を振り返る記録。日常や仕事、趣味などの話題が中心です。一年間を目安に、週次更新を続けていきます。
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    更新スケジュールについて
    • 短編小説と読書エッセイは約3か月ごとにまとめて公開します。
    • 週次報告は毎週日曜に更新予定です。


    運営ポリシーについて
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  • 人間の変身あるいは不完全変態について 小山田浩子『はね』

     一生のうちにその姿を変える昆虫がいて、それを変態というのだが、要するに私の世代などはポケモンにおける「進化」と理解するのが容易いだろう。ポケモンでは個体をあるレベルまで育成すると、軽妙な音楽と共に姿を変化させるイベントが起きる(その軽妙な音楽の途中でキャンセルボタンを押し続けると、変化を強制的に止める事ができる)。しかし本来の進化という現象は、同一個体での姿形の変化ではない。世代を超えてその個体における変化を言う。つまりポケモンにおける進化とは厳密に言うと変態なのである。ただ開発者たちはゲーム中に変態変態と連呼させるのはよろしくないと判断したのか、(当時の技術的環境で表示できるのはひらがなのみだったので、「へんたい」と表示されることになる。ひらがなならいくらかまろやかになる気もするが、そういう問題でもないのかもしれない)「進化」という概念が発明されたのかもしれない。


     昆虫が姿を変える変態(ポケモンにおける「進化」だ)は幼虫がやがてサナギになり成虫になるのと、幼虫が脱皮を繰り返して成虫になるパターンがある。前者を完全変態、後者は不完全変態と分類される(教養の範囲でポケモンの例えを使うと、バタフリーはトランセルを経由するので完全変態であり、モルフォンはサナギの状態がないので不完全変態となる。どちらも成虫の見た目は蝶なのに不思議だ)。変態を行う生物を見ていて興味深いのは、ある瞬間が来ると次の段階に移行するために姿を変え始めるが、その一瞬の心のはたらきはどのようなものだろうかという点だ。セミの幼虫が木に登って羽化する時には、いざ地中から出ようと決する瞬間があるはずだ。思考は作用せずに本能で行っているのだとしても、どんな衝動が体内で生じているのかは想像の余地がある。生物の反射的な行動は内面から説明できずとも、外から俯瞰して解説できる。正しいかどうかはどうでもいい。そこに想像力を介入させられると自覚できるのは大切だと思う。創作の面でも生きていく上でも。例え科学的にセミの心的な決断が完璧に理解できたとしても尚、そんな内的変化の行方はどのようなものだったのかについては、考え尽くす意味がある。幼虫の状況からどんな心持ちで決断を済ませたのだろうか。自らの行く末を誰からも教わらず、誰の営みも目撃した訳ではない。ただそれを本能と片付けるのはいささか勿体無い。そこで横滑りするように思考を展開させて、人間だったらどうなるだろうかと考える。人間がサナギになったり成虫になったりするタイプの生き物だと想像してみよう。そこで人間の変態を何らかの作品のモチーフとして加えたらどうだろう。そこには変態という現象の奥に秘められた、本能の一言だけでは片付けられない衝動の姿があるはずだ。


     小山田浩子の『はね』はそうした人間の変態を描いた作品だ。主人公の高梨くんは中学受験に失敗した少年である。そんな彼に母は「家庭教師の指導を受けてみないか」と提案する。彼には昨年結婚した従兄がいて、その配偶者のホナミさんが生徒を探しているというのだ。母の話によれば、ホナミさんが家庭教師をするのは、収入的な問題があるからではなく、精神的な問題からだという。気持ち的な問題、あるいは気分的な問題といったところだろう。身内の家庭教師ということで母もさほど実績についてはシビアに捉えておらず、主人公も前向きではなかったにせよ承諾する。そんなホナミさんと主人公の交流が描かれた作品である。先に私が考えていた人間の変態の問題があるが、この物語は生物的な自覚の中で移り変わる変態ではなくて、社会的な機能により姿を変える変態を扱っているように思える。私とは違うアプローチというか、話は逆で、この作品を読んでから私は人間の生物としての変態のあり様について思考を巡らせ始めた。その幾ばくかのSF然としたひらめきを産んでくれた、『はね』という作品は変態における一幕をハードボイルドに描ききっている。主だった社会的な羽化の一瞬を、外的な視座を担う筆致で徹底して扱うからだ。


     さらにもう一つ、変態における視点がある。端的に示すと、身体的変化と精神的な変化である。本作で扱うのは後者だ。主人公の家庭教師となったホナミさんだが、主人公の家に来るのではなくて、彼女の家に通うという形で交流が始まる。ここが変則的だと思うが、道具立てを用意するにはやむを得ない設定だろう。彼女の家が出てこなければ、彼女の心は分かりにくくなるし、主人公を中学生の男にしなければ、視点の硬質さに綻びが出る可能性がある。主人公はホナミさんに勉強を教わるだけではなくて、ヤゴの観察をする。ホナミさんはメダカを飼っていて、その鉢にヤゴが紛れ込んでいたのだ。捕まえたはいいものの退治するのも忍びないということで、棲家を別けてヤゴの飼育も始めるのである。主人公とはヤゴがトンボになるところまで見届けることになる。ホナミさんの配偶者はまるでヤゴやメダカといったものに興味はなく、ヤゴが羽化する場面においても、せいぜい無関心さを露わにしないように振る舞うだけである。この主人公の従兄、ホナミさんの配偶者は彼女の心の変化を予感させるために必要な要素だろう。あまり飲み物の趣味が合わなかったり、ちょっとしたコミュニケーションのすれ違いがあったり、彼はホナミさんの理解者ではなくて、あくまで夫という役割を意識付けさせる存在だろう。家庭という社会的構造の中においてホナミさんの役割を明確に描き出すために、良いモチーフとして存在する。さらにホナミさんの趣味のものは、壁にかかっている絵やメダカの入った鉢が登場する。これらに関しても、絵はその作者が「普通に就職して結婚した」とホナミさんに語られることにより、メダカはこれから冬を迎えると心配されることにより、これより先にホナミさんに何らかの変化が訪れるのを予感させている。物語は最後にホナミさんが妊娠をして、主人公の家庭教師から降りるという展開に至る。そして、次に主人公が彼女に会った時には壁にかかった絵も、メダカの鉢も存在しなくなるのである。ここにホナミさんの精神的な羽化が表されている。人間の変態のあり方として、社会構造における役割の変化というものを考えてみよう。新婚のホナミさんが自らの役割に抗うように持ち続けたものは、出産という出来事により消え去り、やがては羽化せざるを得なくなってしまう。構造の中に押し込められた彼女は結果的にそこで変態するのである。だが、それが望む故に起こったのか、望まむうちに起こったのかは明確ではない。このホナミさんの変態を察するには、物語としては彼女を主人公にするのが最も効果的なのであろう。しかし、あくまで視点は中学生の主人公にある。外から観察するという試みによって、彼女の変化は外的な事実を手がかりに読み解くしかなくなっている。硬質な読み口に繋がる重大な要素だろう。


     思うに、主人公がホナミさんではないという点は、人間の変態をヤゴの変態のように読み替える仕組みとして用意されたものではないか。観察者としての役割をこの彼は担っているように思える。結果的にホナミさんと羽化まで見守ったヤゴは飛び立ったはいいが、主人公のリュックにへばりついて死んでいるのが発見される。彼がその事について心的な描写を任されてはいない。ただ読み解く手がかりとして、私たちに与えられているのはトンボの死骸をホナミさんの元から去った後も持ち続けている、という描写である。この千切れてしまって死んでいるトンボはきっとホナミさんの心の抜け殻なのだろう。主人公はそれを持ち続けている事で、彼女がまだ社会的構造に促されるように変態したのを覚えている。あたかもヤゴを見つめていたホナミさんのように、主人公は生物の変態という移り変わりをしっかりと理解しているのだ。こういった変化の物語に主人公の存在は寄与している。


     変態したホナミさんとそれを見つめる主人公の関係性を最後まで見ていると、新しく考えておきたい題材が浮かんでくる。一つは最初に書いたような、生物の反応としての変態を人間の身体に当てはめて描くというものだ。変態に至るまでのきっかけをドラマとして展開できるのなら、それはSFの分野で取り扱われるべきものかもしれないが、興味深いテーマになりそうだ。自然生物として変態をするようにプログラムされた場合、一体どんな心理が人間に生まれるのだろうか。そしてもう一つはホナミさんのように社会的な役割に影響されて変態を選ばざるを得ない人と、どうしても選べなくて変態できなかった人の対比だ。特に後者は羽化に失敗したセミのような不気味さと共に荘厳さを感じさせるのではないだろうか。今はインターネットにセミの羽化に失敗した死骸の画像がたくさん転がっている。検索して閲覧される方は自分の責任でお願いしたい。羽化途中で力尽きたセミの姿は、一見するとショッキングであるが、私は生命の巨大な流れを捉えた荘厳なモチーフであると感じてしまった。眺めている内に、「それでは心の羽化に失敗した人間の姿はどんなものだろうか」というのが気になった。それは物悲しいのだろうか。それとも厳かなのだろうか。仕組みからの逸脱者は漂流するか求道に生きるかではないだろうか。もしもホナミさんも羽化に失敗していたとしたら、どのような結末に変わったのだろうか。社会的な役割を大局的な視点から語るのは主人公の母親である。彼女は表向きはにこやかな善人を装っていて、腹の中では規範意識が染みついた言動を主人公に投げかける。もしくは取り留めのない世間話の場面で、己の価値観を忌憚なく話して分相応の振る舞いについて愚痴を吐く。彼女は彼女でホナミさんや主人公の生きる価値観の外郭を規定する存在なので、必要な要素ではある。こういった壁によって作られた世界からはおおよそ逸脱など考えるのも難しいだろう。この母親が世間の有り様を示す事で、作中における人物たちの選択肢は少しずつ決まっていく。では、選択肢を広げるとどうなるのだろうか。羽化に失敗したホナミさんの姿を描くのなら、社会構成の役割を人生の中心にして生きてきた人たちから攻撃されるかもしれない。羽化に失敗した生物が死ぬしかないように、同じ運命を辿るしかないのだろうか。


     このように『はね』は人間の精神の変態についてを描き、それに留まらずに発想までを助けてくれる傑作である。最後に一つ不思議な箇所を取り上げたい。主人公とホナミさんがヤゴの羽化を見守る場面にて、ようやく殻から出てきたトンボは片方の羽がしわくちゃになってしまっている。いつまでもトンボは飛び立たない。羽が綺麗に展開されなければやがては死が待っている。羽化の失敗である。主人公とホナミさんは心配そうにトンボを気にかける。だがいつの間にかトンボはいなくなっていて、二人はトンボが無事に飛び立ったのを喜び合う。しかしながら、トンボは主人公の鞄に潰されるようにして死に絶えてしまっていた。この羽化の成功と失敗の両面が現状の上に覆い被さるようにして、あたかも重ね合わせた世界のようにも感じさせてくれるのだ。トンボの羽化が失敗しかけているという予感を持ち出して、羽化の失敗への予感を匂わせている。実際の所、ハスミさんは羽化に成功したのだろうか。二重の可能性を考慮するとそんな疑いまでもが頭をよぎるのである。そもそも羽化に成功するとは、社会的な構造の要請に応えて上手く変態することなのだろうか。要請を無視し反抗して振る舞うのが羽化の失敗なのだろうか。生き物にとっての正解が生き残ることであるのなら、構造に押し込められて役割を全うするのは羽化の失敗なのではないか。ここで社会の価値観と個人の価値観の衝突が生まれてしまう。その視点を手にしてしまうと、ハスミさんは結局羽化に成功したのか、それとも失敗したのか、そちらに考察が流れていってしまう。人間の変態を余す事なく描き切るには、それが成功であれ失敗であれ、変遷に自覚的であるべきだろう。本作はこうした可能性を含ませつつも、主人公のニュートラルな視点を噛ませる事で一定の歯止めを用意している。余韻として考察を提供してくれる、実に読み応えのある一編である。

  • アレゴリーの世界へ 福永武彦『塔』 

     本作を読むにあたって最初に触れずにはいられないのは、その筆致である。『塔』という作品を組み立てている文章は一文一文が巧みに計算されたオブジェのようだ。少し日本語の文法とそれにまつわるジレンマの話をしておこうと思う。分かりやすい文章を書こうとするのならば、結論から言えば、日本語は主語と述語(主部と術部)をくっ付ければくっ付ける程、読みやすく分かりやすくなる。私は様々な文章作法の本を読み漁ってきたが、概ね結論は同じようなものだったと記憶する。とにかく主語と述語の関係を気にするかどうかで日本語の文章の読みやすさは変わる。本格的な話を始める訳にはいかないが(これはあくまで『塔』についての話なので)、例えば「私」という主語から始める文章があったとする。

    「私は塔という本を読もうとしている」

     ここで主語は「私」となり、述語は「読もうとしている」となる。厳密には異なるのかもしれないが、概ねの理解としてこう定義しておく。そして、この主語と述語の中に文を挟むことで、様々な彩りが出てくる。

    「私は久しぶりに塔という本を読もうとしている」
    「私はもう捨てたと思っていた夢を諦められずに、自らの原点となった作品である塔という本を読もうとしている」
    「私は引っ越すたびに本棚を買い替えているのだが、常に棚の目立つところには一冊の本が入っていて、それは学生時代にふと立ち寄った古本屋で見つけたものなのだが、福永武彦の塔という本で、久しぶりに手に取って読もうとしている」

    こうして主語と術語の間にまた主語と術語を入れたり、術語を二つ出して繋いでみたり、色々な手法で元々の主語と術語のみで成り立つ文章を膨れさせられるのである。だが、これらは少し読みにくい。読みやすくしようとするなら、少し中身を削った方が良さそうだ。ただし、読みやすさのために削りすぎると文章が淡白になってしまう。「私」と「読もうとしている」の間にどれ位の内容なら適切だと言えるのだろうか。また、一文を区切るという手法もある。上の例で言うならば、

    「私は引っ越すたびに本棚を買い替えている。常に棚の目立つところには一冊の本が入っている。それは学生時代にふと立ち寄った古本屋で見つけたものだ。福永武彦の塔という本だ。久しぶりに手に取って読もうとしている」

    こう直してしまえば読みやすくなる。リズムもいい。だが、これを何ページも続けると次第に文章が単調になってくるので、時々は文章を繋いでしまいたくなる。この文章の区切り方には美的感覚が必要だろう。先に述べた「主語術語の間にどれだけの文を詰めるか」、そして「主語術語の区切りをどう意識するか」、これらを突き詰めて行くと一つの理想に辿り着く。

    「読みやすくて、さらには内容も彩りがある文章」

    こんなに欲張りな文章を日本語で追究する時はいつでも、主語と述語の問題と向き合わなければならない。美しくしようとすればするほど読みにくくなるが、読みやすくしようとすればするほど素朴にならざるを得ない。このジレンマと日本語は戦う宿命にあると思う。話が少し遠回りになったけれども、福永武彦の『塔』はその美意識にしっかり挑んだ稀代の作品だ。本文を少し引用してみよう。

     僕は塔の中にいた。塔は一つの記憶だった。しかし僕は明かにこの記憶を探り出すことが出来ない。僕は今や記憶さえも喪ったのだろうか。そして僕は、自分が今、時の流れのどこに立っているのかを知ることも出来なかった。ただ不安と絶望と恐怖との中で、痴呆のように佇んでいた僕にも、塔は希望と光明と幸福とを舞台として、恰も夜を貫く閃光灯台の灯のように、過去の断片を再現した。

     作者の福永は詩の分野でもその名を知られる。こうして一節を引いただけでも、字句の隅々までに意識を配ったバランス感覚と、音読と黙読のどちらのアプローチからでも実感できる音の心地よさが伝わってくる。一文のみの完成度を求めるのではなく、総体としての文章の出来栄えも意識されている。まるで数学的な理知の上に成り立つ美術品のような趣がある。日本語の特性を知り尽くしていなければ、このように主語と述語の間合いを絶妙に扱えまい。まるで黄金律を駆使して作られる、端正な小細胞の如き文章である。
     ではこのような精緻な文を土台として語られる作品はどのようなものだろうか。実に本作は巧みな構造を持っている。しかしそれは一文の段で心を砕かれた硬質的な趣を引き継ぐのではない。私が『塔』を傑作と断じるのは、先で語ったような機能性と実用性を兼ね備えた均整な文章を用いて、多彩な解釈を許す世界観で物語を構築しているという点にある。とりわけ、アレゴリーという手法を用いて。

     アレゴリーは日本語に訳すと「寓意」である。広く取るのなら「比喩」も当てはまるだろうか。比喩とは表現の手法であり、ある対象に別のイメージを並べて印象深くしたり理解を助けたりする。この道具立てを物語に対しても自覚的に用いることで、『塔』は文学的表現の基礎的な部分を示してくれている。
     そもそも何かを表現するとは、当人の意思とは別に、何かが意図されるという性質を持っている。表現は個々の内面から起こるものであるが、それは一度外的な視点を得れば、作者を離れたところで意図が生じるものだ。もしもこの働きが否定されるのなら、意図という概念を誰かと共有するのは不可能と言える。もちろんいくら意図の特権性が失われるとは言え、あらゆる解釈を許すものではない。そこにはいくつかの合意があり、受け取り手たちの共通認識によって境界が示される。
     意図がこのような性質を持つことは、表現の仕組みの追究へと道を拓く。そうして結実した営みが芸術と呼ばれるものだろう。『塔』に話題を戻す。この作品は意図の操作で物語を組み立てることの面白さを教えてくれる。すなわちアレゴリーを用いた物語表現について示してくれているのだ。ここからは少し内容に踏み入りながら話を進めたい。
     本作は、主人公が七つの鍵が付いた鍵束を螺旋階段から吹き抜けに落としてしまうところから始まる。彼は塔を上っており、その先の七つの部屋を目指している。七つの部屋にはそれぞれ可能性がつまっているらしく、そこを目指す途中の階(きさばし)にいる主人公は常に不安に駆られている。恐怖に襲われている。逃れようとしても、まるで猟犬のように彼を探して捉えるのだ。
     まず気になるのは、物語に登場する要素の素朴さと馴染みのなさである。「塔」や「螺旋階段」「七つの部屋」といった素材が特に注釈もなく提示される。その内に説明が続くのであるが、物語の入り口から既に主人公と私たちとの間の関係性は薄い。一体、彼は何故塔に登っているのか。そもそも塔とは何なのか。読み進めると塔についての説明が挟まる。どうやらかつて主人公は塔の外で暮らしており、塔は外から眺めるだけの興味の対象だった。その頃を主人公は「アルカジアの時」と呼んでいる。彼は友人と共に塔の内部について会話を交わし、その興味を膨らませていく。こういった話の展開から、塔の性質についての詳細を理解したり、主人公の素性を想像するのは難しい。それもどうやら意図的に行われているようだと気が付く。ギリギリで形を保ちうる抽象的なオブジェを並べて、何かを物語ろうとしているのである。塔の内部には不安が満ちており、かつて幼い日には興味の対象であった。主人公はアルカジアの時を離れて塔に登っている。これらが示唆する状況になぞらえて、何か物語の線が描けないだろうか。ぼんやりとしたイメージでも、とりとめのない要素の組み合わせでもいい。例えば、豊かな幼年期から遠く離れて、何らかの構造を持つ組織に入るというモチーフが挙げられる。残酷な現状の内で懐古にふける時を過ごすというエピソードは、ありふれた日常に存在する一幕ではないだろうか。こうして描き出したいものをモチーフに込めるという手法が本作では取られている。その際に選ばれたモチーフは、現実から遠い存在であるように思えて、ふと思えば私たちに馴染みがある物事なのだ。象徴的対象の拾い方に優れている。故に世界観は素朴でありながら、読み解く時には重厚な意味を物語に与えてくれるのだ。もしも拾い上げにくいモチーフをちりばめてしまえば、自ずと作品の構成が崩れてしまう。拾い上げやすくすれば、ありきたりな寓話として説教色の強い物語になってしまうだろう。解釈の余地を残して読み応えがありつつ、多層的で多義的な物語を提供する強度を持つ。本作はそんな絶妙の塩梅を保つようにアレゴリーを持ち出す。

     また、本作はアレゴリーを貫く「予感」に満ちている。作中に現れる「塔」は内部に「七つの部屋」を持っており、話は主人公が塔の部屋を渡り歩く場面に移る。それぞれの部屋には可能性が詰まっている。一番目の部屋は「主人公が世界の王となる」という場所である。全ては彼の思うがままに事が運び、何一つ不自由ない暮らしを送れる。だが主人公はその境遇に飽きて二つ目の部屋に進むことにする。それぞれの部屋で主人公は何か大きなものを得るが、やがて本来望んでいたものではないと気づいて、また塔を登るのだ。一体、何をめぐる過程なのだろう。この問いかけにより思考を巡らせるのは見立ての行為だ。実際、七つの部屋に理屈をつけて物語が作成できるだろう。作成された物語は一つの解釈となって世に生まれていく。多くの解釈が出揃えば、一体どれが本当なのかという疑いも生まれてくる。そこからあたかも正解の物語があるのではないかという誤解が生まれる。あるいは、完全な唯一の解釈が存在しないと認めながらも、より作中の記述を読み取り、時には作者の経歴さえ調べながら、より作者の意図に近似した物語をすくい取ろうとする傾向がある。確かに物語の共有を主眼に置くのならば、できる限り正確な意図の復元を目指すだろう。だがそうした正答へと競うように至る試みが、芸術の芯となる訳ではないし、楽しみ方の王道ではない。時には不確実な見立てをしてみる。それによって作品世界はさらに拡張されていくのだ。私も『塔』を最初に読んだ際は、あまりの理解の乏しさに、あちこちを空白のままにしてしまった。しかしそれでも面白さは感じられた。アルカジアの時を過ごす主人公が、世界の衰えに直面する場面。美しい蝶を追いかけ、それが塔の部屋の鍵束になる。このオブジェには何か特別なものが隠れていそうな予感がある。アレゴリーへの期待があればこそ、文芸作品の読み込みも楽しく感じるだろう。配置された対象を眺めていると、少し頭をひねっただけでは意味が掴めないとしても、それを抱え続ける価値があるのではないかと思えてくる。そんな自分だけの予感を持ち合わせていれば、後々自分の世界の鍵に成り得るし、別の場所への道標になる時もある。
     七つの部屋を辿っていくうち、主人公はそれらの部屋に用意されたものの恐ろしさに気がつく。塔の中で膨らんでいた広大な世界は、幸福ではなくて生とは反対のもの、すなわち死の臭いであると。塔から逃れようとするのだが、部屋の内部への興味に負けて先に進み、やがては最後の部屋の扉を開くことになる。結局のところ、この魅力的なアレゴリーの世界を歩くために、私たちは個々で必要なものを持ち寄らなければならない。多様な読書体験だったり、絵画や音楽を前にして自らの感情を把握する経験だったり、それまでに手にしてきた物体と意図とを用いて、空白のだらけの物語を満足のいく形に整える作業がある。

     正解が存在しないのが文学であるとは言われるが、その言葉が励ましになるのは文学という表現に入門できた人だろう。本を開いて文字を追っても何が起きているのか分からない。そんな人たちにとって、本作は「文学というジャンルで行われるのはどんな営みなのか」を知る最良の教科書になるだろう。『塔』は訴求力のある対象によって私たちの想像力を呼び起こし、筋立てはアレゴリーによって形作られ、「何かを秘めているかもしれない」という予感を抱かせてくれるのだ。私はこの作品から受け取ったイメージを使って、何らかの決定的な物語を作り出すつもりはない。いつもこの本を本棚の目につく場所にしまっておいて、何かに行き詰まったり悩んだりするたびに、すぐ取り出せるようにしておきたい。それほどまでに有益な示唆に溢れており、傾倒する価値のある作品であると思うのだ。

  • 週次報告

    2025月12月8日
    状態:天丼を食べに行くためだけに電車に乗って街に出たが、営業時間を過ぎていて食べ損なってしまったので、もっと惨めな気持ちになりたくて寒空の下を缶コーヒーと共に帰宅。時間は贅沢に使うもの。
    原稿:年末用のラノベ。125000字。あと一万字くらいで終わる予定ではいるが、推敲まで考えると年末に間に合わせるのは難しいのか。
    読んでる本:『ラドゥ・ルプーは語らない』を読み終わりました。彼自身がどこかに留め置けない音楽のような人間だという評に深く感じ入りました。
    進行中のゲーム:ポケモンZ−A。一通りエンディングまで見ました。ジカルデを捕獲したら一旦クリアということにして次のゲームを遊びたい。

    2025月11月30日
    状態:出先で必要になる度にフリスクを買っていたら、机にフリスクのタワーが出来ました。
    原稿:年末用のラノベ。108000字。十万字を超えて何となく書ききれそうな気配。オチも決まった。
    読んでる本:『ラドゥ・ルプーは語らない』はあと数十ページ。ピアノ選びのたびに悪態をつくのはキャラとして面白い可能性ある。
    進行中のゲーム:ポケモンZ−A。進んでいません。今年中にはクリアしてしまいたいが。

    2025月11月26日
    状態:バッティングセンターでお金を払って素振りの練習をした。
    原稿:年末用のラノベ。98000字。話の閉じ方が見つかったが、いちいち小説が下手すぎて悲しくなってくる。
    読んでる本:『ラドゥ・ルプーは語らない』は半分くらい読み進めました。彼と同じ時代を生きていたのに、彼のことを知らなかったのはかなりのショックだ。
    進行中のゲーム:ポケモンZ−A。ユカリのトーナメントで優勝。いよいよAランクが見えてきた。

    2025月11月16日
    状態:ファブリックミストを床中に撒き散らしたら、部屋がどこかの雑貨屋みたいな匂いになって落ち着かない。
    原稿:年末用のラノベ。82000字。終わりまでようやく見えてきたが、そこまでどうやって辿り着くかと考えている。
    読んでる本:『ラドゥ・ルプーは語らない』は進んでいません。演奏を残す事を嫌った音楽家の音楽は人々の記憶にのみ残っているという寂しくも誇り高い展開。
    進行中のゲーム:ポケモンZ−A。サビ団のために働いているが比較的緩めのミッションばかりで微笑ましい。

    2025月11月12日
    状態:やりたいことがあり過ぎて時間だけが不足している。
    原稿:年末用のラノベ。79000字。
    読んでる本:『ラドゥ・ルプーは語らない』を少しだけ読み進めています。
    進行中のゲーム:ポケモンZ−A。サビ団とかいう危ない組織から金を借りてます。

    2025月11月3日
    状態:久しぶりに原宿から明治神宮まで歩き、祭りのように賑やかな人通りの中で暮らす人たちの日常を書きたくなった。
    原稿:年末用のラノベ。73000字。何十年も長編を書いてきたが、ようやく120000字で語れることの限界について意識しなくてはならないと思い始めた。
    読んでる本:村田沙耶香『生命式』を読了。次はあるピアニストについてのインタビュー集『ラドゥ・ルプーは語らない。』を手に取りました。
    進行中のゲーム:ポケモンZ−A。暴走メガ進化ポケモンを鎮める旅。

    2025月10月26日
    状態:いきなり寒くなって、特に朝は寒さで目覚めるという状態。まだ扇風機をしまっていないくらいには準備ができていませんでした。
    原稿:年末用のラノベ。53000字。中盤に向けて展開を作ってました。
    読んでる本:村田沙耶香『生命式』の『街を食べる』を読んでいました。変わった嗜好を持つ人を書くのにはきっと苦労も多かっただろうと思ってしまう。
    進行中のゲーム:ポケモンZ−A。ようやくメガ進化とやらに出会いました。自分の好きなポケモンはメガ進化するのだろうか。

    2025月10月20日
    状態:もう忘年会の話をし始めている人たちが周りに現れ始めて戦々恐々としている。今年やっておきたいことが全然できていなくて落ち込む。
    原稿:年末用のラノベ。43000字。危うくまたボツにしかけました。何とか今回は書ききりたい。
    読んでる本:村田沙耶香『生命式』の『パズル』を読んだり、太宰治の短編を青空文庫で何度も読んだりしています。
    進行中のゲーム:ポケモンZ−Aを始めました。グレイセスエフはしばらくお休みします。本当に久しぶりのポケモンで、ドット絵の頃しか知らない身としてはポケモンが3Dで動き回っているだけで感慨深くなってしまってます。キャラの仕草もいちいち可愛くて腹立たしい(?)。

    2025月10月13日
    状態:ふと思い立って英語の勉強をしたくなる。発音とか一からやりたい。
    原稿:年末用のラノベ。33000字。序盤で盛り込みたいことがちょうど収まりそうなくらいには文章量とストーリー展開のバランスがいい。
    読んでる本:村田沙耶香『生命式』を読んでます。『魔法のからだ』とか『かぜのこいびと』とか読むと自分にとって馴染みのない心理描写に触れられるので楽しい。
    進行中のゲーム:テイルズオブグレイセスエフは一歩も進んでません。

    2025月10月5日
    状態:年末を見据えて気合いを入れ直そう。愛用してたファイルボックスが生産中止になっていて悲しさが溢れる。
    原稿:年末用のラノベ。20000字。少し外見描写について考え直す。
    読んでる本:村田沙耶香『生命式』の『素晴らしい食卓』を読みました。要素から構造を作るのが上手すぎる。そして面白すぎる。
    進行中のゲーム:テイルズオブグレイセスエフはお休みにしてFGOのイベントを走ってました。国内サーヴァントの扱いについては納得しているものとそうでないものがあるけれど、皆が集まれば不思議と全部これで良かったなと思えてしまう。終わるのか……。

    2025月9月28日
    状態:昼間の時間帯だけ夏が戻ってきているような日々。朝晩のクーラーなしの生活を送り、窓辺での読書に外からの音が戻ってきた。
    原稿:年末用のラノベ。書き直しからスタートして10000字。少し試したいことができたので楽しくなっている。
    読んでる本:村田沙耶香『生命式』を読み始めました。奇想をコントロールするのがうまい。
    進行中のゲーム:テイルズオブグレイセスエフは成長したヒューバートにボコボコにされる。七年間でここまで差がつきます?

    2025月9月21日
    状態:遠回りして元の道へと戻ってきました。これが無ければとっくに干からびてます。
    原稿:ちょっとした短編小説が完成しました。たくさんの人に読まれますように。来週からは公募用ラノベの原稿に戻ります。
    読んでる本:テッド・チャンの『あなたの人生の物語』を読了しました。次は何を読もうか積読だらけの本棚の前で悩む。
    進行中のゲーム:テイルズオブグレイセスエフは進んでおりません。今週はちょっと原稿の進みが元気なかったので。

    2025月9月14日
    状態:カクヨムでシナリオ風のストーリーを公開しました。自作キーボードを題材にしたASMRです。是非お読み下さい。コンテストにも参加しています。受賞すれば本当に声がつきます。 https://kakuyomu.jp/works/16818792440116798472
    原稿:ちょっとした短編小説を書いています。8000字ほど。
    読んでる本:テッド・チャンの『あなたの人生の物語』から「地獄とは神の不在なり」を読みました。魅力あふれる設定に驚いてばかりだった。ドラマをもう少し増やして長編にしても面白そうな題材だ。
    進行中のゲーム:テイルズオブグレイセスエフをやっています。領主編というのが始まりました。戦闘システムが実はまだいまいち全部分かっていない。

    2025月9月7日
    状態:今さらながらガンダムジークアクスを全話視聴。モビルスーツの挙動が毎回オシャレで感動してました。
    原稿:九月末締切の短編。20000字で完成しました。推敲も終えて公開しました。
    読んでる本:テッド・チャンの『あなたの人生の物語』から「地獄とは神の不在なり」を読んでいます。今週は進みがあまりよく無かったです。
    進行中のゲーム:一切ゲームに触れられない毎日。余裕のある暮らしをしたい。

    2025月9月1日
    状態:ニュースでは秋はまだ先と言うけれど、朝日の昇るのが遅くなったのに気がつくと夏が確実に去りつつあるのを感じる。
    原稿:九月末締切の短編。18000字。もうすぐ完成です。
    読んでる本:テッド・チャンの『あなたの人生の物語』から「地獄とは神の不在なり」を読み進めています。発想がぶっ飛んでて楽しい。
    進行中のゲーム:ナイトレイン。追跡者で全部の夜の王を倒しました。一旦ナイトレインはおしまいにするか、それとも無頼漢を極めるか悩んでます。

    2025月8月24日
    状態:夏風邪でダウンしていました。熱帯夜対策で買った氷枕がここでも役に立ちました。
    原稿:八月の公募向け原稿を中断。九月末締め切りの短編賞向けを先に片付けます。4500字です。
    読んでる本:テッド・チャンの『あなたの人生の物語』から「地獄とは神の不在なり」を読み始めました。フィクションを多角的に構成するから、この作品に限らず収録作はどれも真実のみを語っている様に見えている。傑作です。
    進行中のゲーム:ナイトレイン。追跡者のエンディングを見ました。大盾は個人的に合わなかったなあ。

    2025月8月17日
    状態:また一週間空いてしまいました。お盆休みに旅行に行っていたので更新ができませんでした。あっという間に休みって終わるんですね。旅行行って帰ってきてキーボードを作って、お墓参りに行ってSwitch2を買って、スタンプラリー行って美術館行ってと振り返れば充実してたけれどやりたいことまだまだありました。
    原稿:八月の公募向け。76000字。お盆休みに大進捗を決めるつもりだったのですが小進捗になってしまって不甲斐ないですね。八月の締切には間に合いません。新しい構成のやり方を試しながら書いてます。
    読んでる本:テッド・チャンの『あなたの人生の物語』の表題作を読み終わって次の短編へ。仕掛けに気がついた時は本当に見事な構成だなと感じてしばらく唸っていました。いつかこんな風に構成で遊べる様になれるだろうか。
    進行中のゲーム:Switch2が買えたのでマリオカートワールドをプレイしていました。コース間のコースの雰囲気が好き。

    2025月8月3日
    状態:毎日暑すぎる。どうなっちまうんだ、地球……。
    原稿:八月の公募向け。50000字。八月中には多分間に合わないので九月になるかもしれません。一年も半分過ぎたのに長編一つも仕上げられないとは。今年は不甲斐ない年。今までやってもできなかったことができるようになっているのは素直に嬉しいけれど。
    読んでる本:テッド・チャンの『あなたの人生の物語』の表題作。半分まで読んで考えてしまう。三月ごろに自分で没にしたSF小説もこんな感じのものを望んでいたのではないかと。主題が近しい。
    進行中のゲーム:「テイルズオブグレイセスエフ リマスター」の幼少期編をクリアしました。登場人物の暴走が目立つ。

    2025月7月27日
    状態:一週間空いてしまいました。普通に更新を忘れていました。ジンを使ったアルコール飲料を色々作って楽しんでます。ジンそのものの味にも気がつけるようになりたいですね。
    原稿:八月の公募向け。35000字。もうこれ以上ボツにしないために考えに考え抜いて書き進めています。今のところは上手くいっている。
    読んでる本:テッド・チャンの『あなたの人生の物語』の表題作に入りました。題材ごとに別人のような作風になるのが愉快。
    進行中のゲーム:「テイルズオブグレイセスエフ リマスター」「ナイトレイン」、どちらも進捗なし。友人にプレゼントしてもらったヴァンパイアサバイバーで遊ぶなどする。

    2025月7月13日
    状態:パソコンが戻ってきました。Windows機はゲーム専用ということにして、その他諸々をMacでこなしていこうと思います。Mac mini買いました。電撃大賞、二年連続の一次通過!
    原稿:八月の公募向けに書いていた作品が迷走中です。初稿を六月に上げて、それから推敲をしていたのですが、改稿の段階で一度全没にした方が良いと判断しました。構造が変なので。一から書いています。キャラと設定と一部の展開は使い回してますが、基本的には新規書き直しです。八月に間に合えば良いな。
    読んでる本:テッド・チャンの『あなたの人生の物語』から「ゼロで割る」を読んでます。こういう入り組んだ作風も堂に入っている。
    進行中のゲーム:「テイルズオブグレイセスエフ リマスター」を始めました。ナイトレインと両立していけるのだろうか。

    2025月6月22日
    状態:パソコンの調子が悪いので修理に出そうと思います。このページの更新もしばらく止まるのでよろしくお願いします。
    原稿:六月公募向けのラノベ、リスケジュールで八月の賞に回そうと思います。一、二週間の直しじゃどうにもならないことが判明しました。
    読んでる本:テッド・チャンの『あなたの人生の物語』から「バビロンの塔」を読了。次の短編に進みます。
    進行中のゲーム:「エルデンリングナイトレイン」の兆しを撃破してラスボスへ。どうにも動きが分かっていないと倒せない。

    2025年6月15日
    状態:上半期が終わりそう。何もかもに無我夢中だった。振り返ってみれば色々あって、どれももう一年くらい前の出来事のように感じるが、今年が始まったのはまだ昨日のように思える。
    原稿:六月公募向けのラノベ、137000字で初稿終わりです。キャラクターがぶれまくっているので何とかするところからが改稿のスタート。 
    読んでる本:テッド・チャンの『あなたの人生の物語』から「バビロンの塔」を読む。最近ラノベでやりたいことを既に取り入れている作品に出会えた。
    進行中のゲーム:「エルデンリングナイトレイン」の顎と虫を撃破。どちらもほぼパーティ壊滅寸前からのクリアだったので、フロムゲーで感動してしまった。今までにない感情だ。

    2025年6月10日
    状態:終わりが見えている話なのにまだやりたいことが溢れ出てくる。改稿でどうにかなるレベルの修正なのか。
    原稿:六月公募向けのラノベ、123000字。終わりそうな所まで来ているものの最後まで突っ切れないもどかしさ。推敲を考えるともしかしたら六月末には間に合わないのかもという予感。 
    読んでる本:『古代ギリシャのリアル』を読了したので、テッド・チャンの『あなたの人生の物語』を読み始める。
    進行中のゲーム:「エルデンリングナイトレイン」の最初のケルベロスみたいなボスを倒した。追跡者が一周回って使いやすそう。次のボスに行く前に追憶をやったり、隠者をソロで練習したりしてます。

    2025年6月1日
    状態:一週間後には暑い暑い言っているかもしれないのが信じられない寒さ。ウインドブレーカーを新しくしたいと思っていて、来年に先送りしたのだけれど、季節が先に行ってくれないのでまた検討する羽目になっている。 
    原稿:六月公募向けのラノベ、110000字。終わりに向けてしっかり盛り上げていきたい。 
    読んでる本:『古代ギリシャのリアル』はあと数十ページで読み終わります。遠い国の遠い時代の信仰心を想像することは出来ても、リアルに引き付けて考えるのは難しいことだ。
    進行中のゲーム:「エルデンリングナイトレイン」を一戦だけプレイ。攻略しがいのあるいいゲームだ。

    2025年5月25日
    状態:キー割当で極力手の位置を動かさない配列にしたら、本当に要らないキーが分かってきて、にわかに40%キーボードに現実味が出てくる。
    原稿:六月公募向けのラノベ、100000字。十万字の達成。ジュウマンジ! 終わりの流れが出来上がりつつある。だが直したいところばかり。
    読んでる本:テッド・チャンの『息吹』。読了。今は藤村シシンさんの『古代ギリシャのリアル』という本を読んでいます。神話と人々の信仰との力関係が面白くて、めくるたびに私にとっては少なくとも重大な記述が飛び出してくる。実に良書。
    進行中のゲーム:エルデンリングDLC。マレニアを倒さずに全クリしてしまったのを秘密にしていたかった。マレニア戦の下準備してます。弾く硬雫を取りに行ったりね。あのウィッカーマンみたいなやつに捕まって頭の鍋みたいなので煮込まれるの嫌すぎる。

    2025年5月18日
    状態:色々なデバイスで執筆しているとファイル共有が面倒なので、もういっそObsidianでやってしまおうかと画策してます。
    原稿:六月公募向けのラノベ、87000字。五月中には初稿を上げたいが、それはまずまずハードルが高いと思われる。
    読んでる本:テッド・チャンの『息吹』。「不安は自由のめまい」を読み始めています。いい道具立てで感心してしまう。
    進行中のゲーム:エルデンリングDLC。今週も一切触れられませんでした。ポケモンスリープ始めました。

    2025年5月12日
    状態:自由に書こうとするために不自由さを受け入れなくてはならないのが不安。文フリ東京40お疲れ様でした。
    原稿:六月公募向けのラノベ、77000字。話を盛り上げて畳んでちょうどいいくらいの文字数が残っている気がする。
    読んでる本:テッド・チャンの『息吹』。「偽りのない事実、偽りのない気持ち」と「オムファロス」を読み終えました。あと一編。
    進行中のゲーム:エルデンリングDLC。今週は一切触れられませんでした。


    2025年5月6日
    状態:ゴールデンウィークは大阪旅行してきました。万博を見に行ってきました。英国館のバーで飲んだカクテルが美味しかったです。
    原稿:六月公募向けのラノベ、65000字。短い間隔で展開のメリハリをつけられるようになりたい。ラストへの道筋を見出す。
    読んでる本:テッド・チャンの『息吹』。「偽りのない事実、偽りのない気持ち」の途中です。旅行中に本が読めなかった。
    進行中のゲーム:エルデンリングDLC。ライカードを撃破。次はどうしようか。

    2025年4月28日
    状態:公募に連続落選&ニンテンドスイッチ2の予約抽選に外れるという一週間で人修羅になる。
    原稿:六月公募向けのラノベ、50000字。四分の一まで内容的には終わりました。書き込み度合いを途中から控え目にしたので濃淡が出てます。
    読んでる本:テッド・チャンの『息吹』。「デイシー式全自動ナニー」まで読み終わりました。短い文量の中で世代をまたぐ仕掛けを用いていて驚嘆しました。
    進行中のゲーム:エルデンリングDLC。思い立って火山館のイベントを進めています。本編は最短ルートでクリアしたので終わってないイベントも多々あります。

    2025年4月20日
    状態:この週次報告のページを少し改装しようかと思っています。次回のサイト更新用のコンテンツも構想だけはあります。気力次第の日々。
    原稿:六月公募向けのラノベ、36000字。
    読んでる本:テッド・チャンの『息吹』四つ目の短編を読み終えそうなところです。
    進行中のゲーム:エルデンリングDLC。今週は一切手を付けてませんでした。

    2025年4月15日
    状態:二日間で同じ山に二度登ってました。山というほどの山でもない気がしますがしっかり筋肉痛です。
    原稿:六月公募向けのラノベ、26000字。
    読んでる本:テッド・チャンの『息吹』がでたらめに面白い。二つ目の作品を読み終えました。
    進行中のゲーム:エルデンリングDLC。双月の騎士レナーラの前まで到達する。武器を揃えるのが楽しくてストーリーが進みません。

    2025年4月6日
    状態:日が落ちた時の寒さに震える春の日。ストーブは片付けてしまったので毛布にくるまって耐えるしかない。
    原稿:6月公募向けのラノベ、13000字。先を見据えて展開が出来ているのでスムーズ。
    読んでる本:『時計じかけのオレンジ』を読了。テッド・チャンの『息吹』を読みます。
    進行中のゲーム:エルデンリングDLC。獅子舞みたいなやつを倒しました。ショーの舞台に引っ張り出されたような破茶滅茶さでした。

    2025年3月31日
    状態:自分で原稿を没にしてしまう癖がついてしまい、結局今年はここまで一作品分の没原稿が溜まっただけでした。抜け出したい。
    原稿:また自没に。ここ一ヶ月、毎週没を繰り返してます。やはりSF長編はまだ自分には早かったみたいだ。6月のラノベの賞に向けてラノベを書きます。1500字。
    読んでる本:『時計じかけのオレンジ』を半分ほど読む。超暴力という表現が出てくる度に笑ってしまう。秀逸なネーミングだと思います。
    進行中のゲーム:ダークドレアムを倒したのでドラクエ6は一旦区切りにします。そしてドラクエをナンバリング順にやってましたが、ここで別ゲーを挟みたいです。ひとまずエルデンリングDLCを始めました。

    2025年3月17日
    状態:ハイパーヨーヨーアクセルのアクセルラウンドを買い、簡単なトリックが出来るようになる。まさかこんな年になってもヨーヨーを嗜むことになろうとは。
    原稿:趣味の短編小説が完成。一ヶ月前に没にしたSF小説のリベンジのつもりでSFを書き始める。どこかに投稿したいがどこかは決まっていない。5000字。
    読んでる本:『形而上学レッスン』を読了した。論の進め方が分かりやすかったのでノートにまとめてみたい。『時計じかけのオレンジ』を読み始める。
    進行中のゲーム:ドラクエ6。デュランを倒してテリーを仲間にした。そしてとうとう主人公がゆうしゃに転職。これでかなり戦闘が楽になるはず。

    2025年3月10日
    状態:少し余裕のある本棚を片付けたらもっと余裕が生まれるんじゃないかと思っていたんですが、取り組んだ結果、何故か本が溢れてしまいました。どういうこと。
    原稿:趣味の短編小説。14000字。実験を繰り返すうちに作風が少しずつ変わってくるのを感じている。今年は一年通してこの方向性で頑張ってみたい。
    読んでる本:『形而上学レッスン』の「普遍者」の議論の続き。ここを抜けたらもうすぐ終わる気がしている。
    進行中のゲーム:ドラクエ6。うつくしさコンテストで何の変哲もないNPCに敗北して悲しみに暮れている。

    2025年3月3日
    状態:スゴクタカイ(価格が)マクラを買った。首がなんとなく楽になった気がする。
    原稿:すばる用の推敲の目処が立ったので、ちょっと息抜きに短い話を書いています。満足いく出来にならなくて、書いたり消したり没にしたりで今は2000字。完成したらホームページに載せます。
    読んでる本:『形而上学レッスン』の「普遍者」の議論で少し足踏みしている。今までは知識の貯金でどうにかなったけれど、このテーマだけは異なった前提があるような気がする。
    進行中のゲーム:ドラクエ6。魔法都市カルベローナに到着。究極魔法マダンテって何だ?

    2025年2月23日
    状態:2月が終わる実感と言うか今年が始まった気さえまだしていない、2024年気分の抜けていない労働者。
    原稿:ハヤカワSF向け80000字を超えた所で没にします。まとまりのある話を作りきれなかった。まだまだ未熟。似たようなテーマのSFを読み漁って次に備えたい。今はすばる投稿用の原稿を推敲しています。
    読んでる本:『形而上学レッスン』の「物体の構成」まで。残り100ページくらいで終わります。
    進行中のゲーム:ドラクエ6。ミラルゴを倒す。そろそろ主人公は勇者になってほしい。ゲントの杖要員なので。

    2025年2月16日
    状態:プラモを収納するために百均でタッパーを何種類も買って比較してたら、部屋がタッパーだらけになってました。料理でも始めようかな。
    原稿:ハヤカワSF向け80000字。序盤まで戻って書き足すのと修正するのと色々やりたくなってくる。3月中の完成は難しいかもしれません。
    読んでる本:『形而上学レッスン』の「神」の議論を呼んでいる途中です。今週はあまり進まなかった。少し踏み込んで考えたい主題が色々と見つかって楽しい。
    進行中のゲーム:ドラクエ6。スライムナイトが仲間になりました。勇者を目指す主人公が今、スーパースターまで来ています。空とぶベッドを手に入れました。寝ながら移動できるとか実質天空の城じゃん……。

    2025年2月9日
    状態:ここまで寒いのに慣れたなら、ずっと冬で良いような気もしている。かじかむ手でプラモを作ってます。
    原稿:ハヤカワSF向け67000字。中盤の山を作ろうとしています。三月までに無理矢理終わらせるのがもったいない気がしてきたので、もしかしたら二月の終わりで一旦中断して、別の三月締め切りの作品を推敲して仕上げるかもしれません。
    読んでる本:『形而上学レッスン』の「時間」の議論を終えて「神」へ。いつか主題について気になった時にこの本の議論を思い出すというのが、きっと今の自分にとってちょうどいい使い方なのだろう。
    進行中のゲーム:ドラクエ6。ジャミラスを倒してひょうたん島みたいなのをもらう。ハッサンとアモスでやっていること同じになってるので、アモスを馬車に下げてチャモロ使おうかな。

    2025年2月2日
    状態:ネトフリで「地面師たち」を見終える。金や家族や地位といった持つものを持っている故の怖さみたいなのが感じられる、救いのない作品で面白い。
    原稿:ハヤカワSF向け54000字。中盤に向けて進み始めるがやや書きすぎた感じがある。風呂敷を広げすぎてもいる。
    読んでる本:『形而上学レッスン』の「宿命論」の議論を終えて「時間」へ。議論の筋道が追いやすくて面白いが、想定される反論が弱すぎないかな。
    進行中のゲーム:ドラクエ6。ムドーを倒して転職し、アモスを仲間にしました。職業システム面白くてストーリーがなかなか進まない。

    2025年1月26日
    状態:今更ながら「アオアシ」を読み始めて一気に最終巻まで到達してしまった。王道のストーリーの面白さを再確認している。
    原稿:ハヤカワSF向け41000字。序盤の山だが盛り上がるのかどうか。
    読んでる本:『形而上学レッスン』のまだ40ページ前後。「宿命論」の議論に入る。上手く意味の取れない文章と戦う感覚を思い出してくる。
    進行中のゲーム:ドラクエ6。バーバラを仲間にして最初のムドー戦へ。洞窟に出てくるベギラマ使う敵が地雷すぎる。こいつだけレベルデザインおかしくないですか?

    2025年1月19日
    状態:バーボンウイスキーで冒険しているが、ここ数本はどれもピンとこない。というかどれも同じに感じられてきた。ワイルドターキーでも飲み続けようか。
    原稿:ハヤカワSF向け30000字。そろそろ序盤の山に行きたいのだが前提条件となる設定を上手く出せない。結果として文字数がかさんでいる。
    読んでる本:『百年の孤独』を読了。新しく『形而上学レッスン』という入門的な哲学書を読み始める。
    進行中のゲーム:ドラクエ6。ハッサンとミレーユを仲間にする。夢見の洞窟をクリアして下の世界のレイドック城へ。ミレーユと一緒に住んでたばあさんが凄く不吉なことをにおわせてくるの、ゾクゾクする。

    2025年1月13日
    状態:とあるソシャゲのオフラインイベントに参加。失礼ながらほとんど名前を存じ上げない声優さんばかりだったけれど、イベントですっかりファンになってしまう。これからの方々なので活躍を追っていきたい。
    原稿:来年のハヤカワSF向け。18000字。序盤の3000字を削って書き直した。ラフスケッチをちゃんと書き直す作業に似ている。
    読んでる本:ガルシア・マルケス『百年の孤独』 あと50ページ。少し時間が開くと展開が分からなくなってしまう。遡って読むしかない。
    進行中のゲーム:ドラクエ6 お正月はずっとFGOをやっていたので進行なしです。

    2025年1月5日
    状態:明けましておめでとうございます。お正月は伊豆で温泉に入り、カピバラににんじんをあげて、寝ている猫たちを眺めてきました。今年も頑張って傑作を書きます。
    原稿:ハヤカワSF向け。7000字。自ボツになりそうな予感がしているが、少し世界観を掴むために書き続けます。
    読んでる本:ガルシア・マルケス『百年の孤独』 残り100ページくらいか。
    進行中のゲーム:ドラクエ6 進行なし。旅行に行っていたので。

    2024年12月29日
    状態:ずっと買ってそのままにしていた「君たちはどう生きるか」のブルーレイを観る。幻想とリアルの狭間の描写が恐ろしく面白い。
    原稿:来年のハヤカワSFに向けて構想中。来週には書き始めたいが。
    読んでる本:ガルシア・マルケス『百年の孤独』 四分の三くらい。ここ一、二年でここまで面白い小説に出会ったことがない。
    進行中のゲーム:ドラクエ6 序盤も序盤。旅立ちの所。「自分がなにものかなんて誰にもわかりゃしないんだぜ……」

  • 怪獣


     蝶野美莉愛(ちょうのみりあ)は島で唯一の子供だった。ただ生まれはこの島ではない。本州の地方都市だと聞いていた。父方の実家がこの島にあったため、一家で移住してきたらしい。僕はその話を叔母から聞いていた。「美莉愛ちゃんのお父さんが行方不明になったのが五年くらい前かしら。それからお母さんと一緒にこの島に越してきたの。お母さんの方の実家とは仲が悪かったらしくて、こっちなんですって。今は随分慣れたみたいね。美紀ちゃんっていう遊び相手が居たんだけれど、大学に進学してM県に行っちゃって。スマホも持ってないから連絡も取れなくなって、かわいそうに」それが、いつも彼女が浮かない顔をしている理由らしい。いや、元々今のような雰囲気だったのかもしれない。僕は美紀という人を知らないし、美紀という人と一緒にいる時の彼女も想像するしかない。
     蝶野は十三歳で中学生に上がったばかりだった。島には小学校と中学校を一緒にした施設があった。古い建物を囲むようにプレハブ小屋で増築してある。彼女は毎日自転車でその場所に通っている。時々、海沿いの道を自転車を引きながら歩いている彼女を見かけた。海の向こうには一切目も向けずに、ひたすらに足元だけを凝視している。何かに躓かないように気をつけているのだろうか。その姿勢も僕を惹きつけていた。
     僕が教師として蝶野と出会ったのはつい最近だ。だから、中学生の彼女の姿しか知らない。この島の中学生は制服を着ることになっていた。白のブラウスにベージュのリボンが垂れ下がる。彼女はプリーツスカートを織り込まずに履いていた。膝を隠すような長さになっている。自転車に巻き込まれないか心配だ。しかしそれならスカートではなく学校指定のジャージを履けば良いだけなのだが、どうして彼女がそうしないのかは分からない。でも僕が口を出すべきことでもないから、何も言わない。着こなしから彼女の心境を読み取れるかもしれないと思うこともあったが、とても上手くいきそうになかった。制服以外の彼女も見てみたいと思った。一体どんな服装を好むのか。何色が好きなのか。どういった柄を選ぶのか。制服という存在はそんな貴重な情報を覆い隠してしまう。校舎の何処かに一枚でも小学生の時の蝶野の写真が無いかと探した。恐らくそういったプライベートのものは自宅に持ち帰ってしまっているのだろう。ただそんな写真のために後ろめたい行為に走りはしなかった。そのつもりもなかった。
     この島にいる限りはできる限り良好な関係を維持したい。特段仲良くなりたい訳ではないし、かと言って距離を置いて過ごしたくもない。僕は彼女を利用するつもりだった。元々本州で教師をしていた。中学校の生徒を教えて二年が過ぎた頃、元々抱えていた苦しさの塊が弾けてしまった。僕は生徒の女子グループからいじめを受けていたのだ。僕の主観によれば、主にいじめのアイデアを出していたのは二人だった。それに追随していた女子生徒が四人いた。首を突っ込んで加担したのはさらに八人で、そこには三人の男子も紛れている。いじめの認識なんて主観的なものに他ならないから、事実(もし調査委員会やら裁判ならで調べられるなら認められるであろう客観的な把握)はあやふやである。無論、当人たちは今日も高校に通っている。昼下がりには授業中にぼんやりと放課後の予定を話しているだろうか。隣の街には大型の商業ビルが修繕を終えて、多くの有名なテナント店が入る予定になっていた。今頃はもう完成しているだろう。そこで遊ぶ算段をしているかもしれない。
     僕が教師を辞めたのは過労によるものだとしておいた。父も母も種類は違えど教師の仕事をしていたから、辞めると伝えた時には驚かれた。まるでヒットを打ってくれたのに、ホームに帰ってこないサードランナーを見たように。やや怒りもこもっていたろうか。そんな親たちにどうして、女子生徒たちにいじめられたから辞めたなんて言えようか。それでも友達は理解してくれた。「教師って大変らしいからな。無事でよかったよ。十分休みなよ」と労ってくれた。世間では教師の働きすぎ問題が騒がれ続けていたから理解もあった。だが実際には学校では僕よりももっと大変な人たちがいる。僕なんて下から数えた方が早いくらいの激務だった。
     僕は辞めてからすぐに本州の心療内科を受診して、睡眠を助ける薬を処方してもらった。向精神薬も何種類か試して、体に合いそうなのを続けている。将来的には教師の職に戻りたいと思っていたから、もし心の傷が自らの行動によって癒えるなら何でもするつもりだった。僕の離職の本当の理由を知るのは医者だけだ。
     それでも復職にはまだ抵抗がある。中学生くらいの女子生徒と接しなくてはと思うと倒れそうになるのだ。嫌な記憶が胸の底を熱して気分の悪さを増幅してきた。離職してからしばらく貯金で暮らしていた時に、都の職員から電話がかかってきた。この島での臨時派遣教師の話をされた。本州から離れた島で小学生と中学生を教えられる人を募集しているらしい。本当は公募で決めるようなのだが、この島に行きたがる人は恐らく少ないだろうと踏んでまず僕に誘いがきた。「少し遠いところにありますでしょう? あくまで臨時の先生ですので正規のお給料は出せませんし、お家を探してもらうにしましても、任期の短さから見つかりにくいと思いまして」と電話の相手は言った。「面接の際にご親戚がお住まいだとお話しされていましたよね」確かに僕は最初の都立校での面接の際にこの島での教育の環境についての話をした。離島に勤める教師のような、生徒にいつも見つけてもらいやすい存在になりたいと話した。今の今まで忘れていたし、現在ではそこまで生徒と近しくなりたくはないと思っているが。面接で「島に勤めていた教育者を何故知っていたのか」と尋ねられて、親戚が住んでいて夏には遊びに行っていたと答えたのだ。そんな過去の発言まで記録されていたのには驚いたが、恐らく控えておこうと考えた人がいたのだろう。もしくは僕の発言が事実かどうかを調べた人がいたのかも知れない。暇な人か、意地悪な人か。どちらにしても僕は先方の申し出に感謝した。話を詳しく聞くと、どうやらその島で子供を教えていた人が行方不明になったらしい。事件性はないと言っていたが(どうしてその一点だけははっきりしているのだろうか)、しばらく戻ってくる見込みはないとのことで代わりの教師を探しているらしい。受け持つのはたった一人の児童で中学生に上がったばかりのようだった。児童が一人でもいる限りは勤めを果たすのが公教育の定めである。そうでしょう? と担当者は言った。過去の自らの言葉が言質としてとられている。既に縁を切って久しい存在だ。見捨てても構わないかも知れないが、僕は利用すると決めていた。話を受けることにした。電話の相手は「受け持つのは大人しくて素直な女の子ですよ」と付け加えた。まるで僕がどうして今教師をしていないのか分かっていると言わんばかりだった。
     数年前に僕は赴任先の中学校で女子生徒たちからいじめを受けていた。四月から受け持った中学校二年生のクラスだ。僕にとっては初めての生徒たちで、きっと上手くやっていけるだろうと思っていた。大学生の時には中学生たちに勉強を教える個別指導の塾でバイトをしていた。その時にある程度の苦労は乗り越えてきたという自負のようなものがあったのだ。勉強をしたがらない生徒やバイトの教師たちと私語をしたがる生徒もいて、受け持った時は彼らを律せなかった。優しいばかりでいたのだ。結果、完全に彼らをつけあがらせてしまった。そんな時に教室を運営する会社の社員が生徒と接する方法を教えてくれたのだ。
    「まず、親御さんに現状を伝えるんだ。教室で少し目に余る行為があって、こちらとしても困っていると。それから少し厳しい指導をするための許可を得る。あくまで言葉による指導だと強調するんだぞ。話はそこからだ」
     その社員は生徒たちが帰った教室でそんな話をしてくれた。飲み物を奢ってくれて、自分も缶コーヒーを飲みながら問題の解決に全力を注いでくれた。
    「許可が取れなかったらもう辞めてもらうしかない。塾としては生徒に辞められるのは収入減に繋がるから避けたいが、かえって無理にいてもらっても他の生徒たちを幻滅させるだけだ。だから、しめしをつけるためにもガツンと話をする」
     僕のバイトは夕方からだったので、社員は昼間のうちに親御さんと話をしてくれたらしい。
    「厳しいようなら俺がやるけど、やってみるか?」
     自分はまるで怒れない教師だった。そんな自分を変えるチャンスをくれたのだ。僕はその頃にはもう将来は教師の道に進むのを決めていたから、これを乗り越えなければ先はないと思って引き受けた。社員は叱り方を僕に任せてくれた。現場では近くで控えていて、まずそうならば止めてくれるらしい。バイトが始まるまでの時間で考えた結果、やはり怒鳴り声を上げるのが効果的だと思った。自分が中学生の頃、国語の教師に怒鳴られたのを思い出した(どうして怒られたのか理由は思い出せなかったが)。その教師の真似をした。物真似のように叫んで叱りつけた。教室には他にも生徒たちがいたので、空気は静まり返ってしまった。だが、それから不真面目な生徒は形の上では改心したらしい。卒業まで教室に通ってくれた。成績も格段に良くなった訳では無いが、全教科で満遍なく授業を理解して定期テストでも平均点を一度も割らなかった。
     こうして僕は大学生の成功体験を持ち込んだのだが、中学校では学習塾とは別の要因で生徒との接し方に問題が起きてしまったのだ。僕は数学を教えているのだが、できるだけ冗談を交えながら授業を進めていた。オーバーアクションで式の立て方を説明し、出来るだけ笑顔で例題の解説をした。演劇をするように数学の問題を解題していたのだ。だが、中学生の女子にとってその教え方は癪に障るものだったらしい。まるで子供向けの教育番組のようだと裏口を叩かれた。まずは「笑い方が気持ち悪い」と言われ始めて、僕の授業の様子はスマホで撮影されて生徒たちの間で流通していたらしい。それから彼女らは僕に授業とは関係のない質問をし始めた。
    「先生の乗っている自転車は駐輪場の一番左の、真っ赤なやつですか? ブレーキがうるさいやつですか?」
     そんな質問で大笑いをするのだ。一人二人だけではない。教室を巻き込んでの爆笑なのだ。笑いの渦の中にいてひたすら僕は孤独だった。惨めさと恥ずかしさの中に恐怖が芽生える。一体何が面白いのだろう。彼らには彼らしか分らない世界での笑いのポイントのようなものがあるらしい。ひっひっひゃという引きつった笑い声が肩を強張らせた。生徒たちは僕を見ると何とか笑わせようとしてきた。少しでもこちらがはにかむと、まるで希少な光景を目にしたと言わんばかりに体を曲げて笑った。僕は無理に付き合わずに無視をしていた。すると彼女らは今度は、僕の板書の数字が分かりにくいと授業中に挙手をして発言するようになった。狙われたのは9の数字だった。9の文字が汚くて0と見間違えると繰り返し発言した。確かに僕の書く9には癖がある。下に抜けていく一本の線が心持ち短いのだ。自覚してもなかなか直らない。僕が狼狽すると皆は喜んで牙を剥いた。そのせいで今でも僕は9の字を書こうとすると手が震える。そのうちに授業中の私語が始まった。どんな強度の注意もまるで無意味だった。見かねたらしく学年主任の教師が見に来たこともあった。その時は凍りついたように教室は静かになった。それが僕にとっては屈辱だった。幾晩も悩んで一度きつく注意してみようと決意した。学習塾の時はそれで成功したのだ。だが、彼女たちの態度が変わることはなかった。皆、怒鳴られるのに慣れている雰囲気さえあった。僕の感情の発露は結果としていじめを行っている子らを助長する結果になった。生徒たちをコントロールできていないという事実は他の教師たちからも注意されるようになった。正常に授業が行われていない状況に苦言が呈された。一つが上手く言っていないと他のことに手がつかない。授業準備にも気持ちが入らなくなった。例題の上手い解説を考えていても、受け手の生徒たちをイメージするたびに嫌な印象が蘇るのだ。結果として何をしても僕は生徒たちに笑われるのが怖くなった。次に何をされるのか。何が笑いの対象になるのか。混乱しながら先生を続けて、ある日もう体が動かなくなってしまった。そうして僕は教師を辞めていた。

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